5歳〜小学生時代

小学生時代

5歳でバットを握った日のことは覚えていません。
きっかけは兄、姉の影響。
二人の野球に遊び半分で参加していたら、いつの間にかのめり込んでいました。

我ながらセンスはある方でした。
よく目上の学年の試合には引っ張り出されて、出場しているような感じでした。

小学校高学年になると、キャプテンを経験。
常にプレーでみんなを引っ張るタイプでした。

4番でキャッチャーでキャプテン。
憧れの野球選手はジャイアンツの阿部慎之助選手でした(笑)

当時の夢は、プロ野球選手。
プロの世界で活躍することを思い描いて、毎日のように公園に行っては友達と練習をするような小学生でした。

中学生時代

中学生時代

中学では、部活ではなくシニアリーグのチームに所属し野球を続けました。

毎週土日は1泊2日のミニ合宿。
夏と冬には10泊以上の大型合宿を行い、野球に打ち込める環境で日々練習していました。
合宿中は携帯禁止。年末年始は合宿先で年を越すのが恒例でした。

今思うとよくやれていたなと思うレベルの厳しいトレーニングでしたが、
おかげで心身ともに大きく成長できた3年間だったと自負しています。

素晴らしい指導者や仲間にも恵まれ、最後の大会ではチーム史上初の全国大会出場
全国3位まで勝ち進むことができました。

訪れる進路相談。
両親からは、当初経済的な事情で都立に行くことを半ば強制されていました。
しかし「甲子園出場」の夢を捨てきれず、私立の強豪校への進学を懇願したところ
「行きたい高校を一つ選べ。そこから特待生で声がかからなければ都立へ行け。」
とチャンスをくれました。

チャンスをくれた両親には感謝しかありません。
結果的に志望していた高校からは声がかかりませんでしたが、別の高校から思わぬ形で特待生としてスカウトいただき、甲子園出場経験のある西東京の私立校へ入学することとなりました。

高校時代

高校時代

親元を離れて寮生活をスタート。

平日は学校終わりの16時〜20時まで、土日祝は朝8時〜21時ごろまで丸一日練習。

「レギュラーとして甲子園出場」「プロ野球選手」という2つの夢に向かって、厳しい練習にも必死に食らいついていました。

努力が身を結び、1年生の秋にはベンチ入りメンバーに選出。
レギュラーには一歩及ばずでしたが、2番手捕手として1軍に帯同していました。

転機は高校2年の夏。
大会直前に顎を骨折し、ベンチ入りメンバーから外れるという大きな挫折を経験。
ワイヤーで固定され、まともに口も開けられない。
2ヶ月間療養を余儀なくされ、体重は7キロ減り、周りとの実力差が大きく開いていくのが目に見えてわかりました。

心が折れかけ、野球を辞めようとまで考えたこともありましたが、
私立へ通わせてくれた親への恩返しや、甲子園出場の夢を諦めきれず、
「0から這い上がろう」と決意し復帰。
地道な練習を繰り返し、3年春にはレギュラーを勝ち取るまでに状態を戻すことができました。

「全国制覇」をチームとして掲げ挑んだ最後の夏。
最後レギュラーを勝ち取ることは叶いませんでしたが、
チームとして甲子園大会出場、甲子園ベスト4まで勝ち進むことができました。

レギュラーとして甲子園に立つことはできなかった。
でも、あの3年間で学んだことは計り知れません。

どん底から這い上がる経験、仲間と同じ目標に向かって全力でぶつかり合う日々。
一人の力には限界があっても、同じ方向を向いたチームなら想像を超える場所まで行ける。
それを身をもって教えてくれたのが、高校野球でした。

そして何より、野球は僕に"本気で取り組むことの楽しさ"を教えてくれました。

楽しいから続くのではなく、本気だから楽しい。
手を抜いていたら絶対に味わえない充実感が、全力の先にはあります。

大学時代

大学時代

元々大学では野球を続けるつもりはありませんでした。
指定校推薦で大学へ進学し、「キラキラした大学生活」を想像していましたが、待っていたのは暇な毎日。

今までの生活のほとんどを「野球」で占めていたところからのギャップに耐えきれず、野球を続けることを決断しました。

準硬式野球部に入部。
遊ぶ時は遊んで、やる時はやる。メリハリのある環境でした。

野球グラウンドが無く、限られた環境の中で、すべて自分たちで練習メニューを作成。
試行錯誤しながら「勝つために何ができるか」を模索し続けた4年間は、高校野球の時とは違った楽しさがありました。

4年生の最後の大会では全日本選手権に出場し準優勝。
出来すぎた結果を残し、17年の野球生活に幕を下ろすことができました。

振り返れば、野球はいつも僕の真ん中にありました。
続けることの大切さ、仲間と本気でぶつかり合う楽しさ、どん底から這い上がる強さ。
すべて野球が教えてくれたものです。

本気で楽しむ挑戦を。

野球を通して学べたこの感覚を多くの人へ届けたい。そのきっかけになれば幸いです。